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旧住友家俣野別邸

2009年03月18日 11:37

横浜市にある「旧住友家俣野別邸」が焼失してしまった。
日曜日のニュースはショックだった。

佐藤秀三設計の昭和14年竣工の建築だった。
佐藤秀三は今の株式会社佐藤秀の創業者だ。
住宅を中心に緻密な仕事をする施工会社だ。
その創業者の設計した建物が平成16年重要文化財に指定され
公開に向けての修復工事中だった。

http://www.satohide.co.jp/news/n2004/matano/hi_works/hi_work9.htm

佐藤秀三は先日書いた澁澤栄一邸の「青淵文庫」を設計した
田辺淳吉の主宰する中村田辺建築事務所の所員だった。
青淵文庫竣工当時佐藤秀三は28歳、
田辺淳吉は46歳、共同主宰の中村達太郎は65歳、
桜井博は29歳、そして中村庸二は34歳だった。
青淵文庫の保存修理工事報告書を見て、
そして他の資料と照らし合わせていた矢先の出来事だった。
中村庸二は私の祖父だ。
青淵文庫の竣工の年は私の父の生まれた年。
42歳で亡くなった中村庸二を追いかけて
いろんな資料を集め、そして照らし合わせていた。
戦前の建築について残る資料は多くはない。

いろんな事が少しずつ分りかけていた。
その矢先のニュースに驚き、
そして落胆してしまった。
貴重な文化遺産が失われるのは悲しい。
もちろんどんどん新しく変わっていく中で
失われていくものは沢山ある。
しかし、文化的価値のあるもの、
残すべきものの価値をどこに求めるか。
もちろん創った本人は文化的価値を
意識して創ったのではないだろう。
でも何年残っても何十年残ってもいい建築を
考えながら、そして、誰が見ても誇れる
情熱をそこに注ぎ込んだんだろう。

いつしか、住宅の寿命は30年程度にしか考えなくなり、
早ければ20年で建て替える。
生活形態や家族構成が変われば建て替える。
どうせ一時だから、コストは掛けない、
住宅はどんどん仮設化していってしまった。

建築を志した時、
後世に残る仕事がしたい。
そんな思いもあった。
初心に還って改めて思う。
残ることが全てではないけれど
今、そこに存在する事の意義を
充分込めて創る事を忘れないようにしたい。

昔の建築家がそうであったように。
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